S25/05/01 参議院 法務委員会
○大野幸一君 次に第二條の資格に関する規定は、今少しく一般的なものにできないものでしようか。
例えば「学校教育法(昭和二十二年法律第三十六号)による高等学校又は中学校令(昭和十八年勅令第三十六号)による中等学校若しくはこれらと同等以上の学校を卒業し法律事務に関し三年以上の実務の経験を有する者」というような一号を加える必要はないものでしようか。
又本條第一号列記の職名中に追加すべきものはないでしようか。この点をお伺いいたします。
さようなことからいたしまして、広く試験制度によつて一般より募集した場合には、その人の人柄などを知ることができないのであります。
認可制度にいたしまして、その人物などを十分調査した上で認可するという制度が最も適当だと考えましたので、かように立法いたした次第でございます。
然るに本法案では、第二十一條で「一年以下の懲役又は一万円以下の罰金に処する。」ことを定めております。
然るに弁護士法第七十二條では非弁護士の法律事務の取扱禁止の規定を設け、その違反行為に対しては二年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処すべきことを定めております。
従つて本條は弁護士法第七十二條の行為以外の行為をも対象とするものと解せざるを得ないのでありまするが、その行為は具体的には如何なる行為を予想しておるのですか。
而して弁護士法に規定しておりまする違反行為と申しますると、弁護士にあらずして弁護士の業務を行つた者でありますが、本法に規定しております事項は司法書士がその範囲を越えて訴訟行為に関與した場合でありまして、一方は弁護士業務を弁護士にあらざる者が行なつた場合であります。
本法の場合は司法書士がその範囲を越えた場合でありまして、両者は行為の点におきまして異なつておりますので、結局弁護士法に比較しまして本法が刑罰が軽くなつておる次第であります。
懲戒権がある以上、その前提として監督規定の有無に拘わらず、必要な監督はできるものと了解して差支ないのですか。
ただ認可の場合におきまして、法務府は認可の内容を調査するに当りまして、或る程度の実質上の監督をなし得ることになつておるわけであります。
又懲戒の際、認可を取消す際にも実質上の監督権と申しまするか、或る程度の監督をなすことができるのでありまするが、一般的に常時法務府がこれらの者を監督することはできないのでございます。
法務府設置法及び本案全体の趣旨から見て司法書士に対する法務総裁の一般的な監督権、従つてその監督の責任は従来通りであるものと了解して差支ないでしようか。
従いましてこの規定を以て法務府が司法書士並びに司法書士会を一般的に監督すると解し得られないものと存じております。
御承知の通り大正八年に設けられました代書人規則、それが一部改正を受けました司法書士法等におきましては、專ら司法書士が取締の対象となつておりまして、これらの自治というものを認めておらなかつたのでありまするが、新しい憲法の下におきましては、かような規定は人権の尊重の立場からいたしましても妥当でないと考えられましたので、特に監督権というものを認めなかつた次第でございます。
○大畠農夫雄君 資格の問題ですが、第二條の二号によりますと「前号に掲げる者と同等以上の教養及び学力を有する者」とこう書いてありますが、大体第一号の標準というものは分らないのであります。
二号の「前号に掲げる者と同等以上の教養」というのは尚分らなくなつて来るのであります。
具体的に言うと一体どんなものなのです。
試験をやつてもやはり人物を見るのと変りがないのじやないかと思いますが、その点をお尋ねします。
それから單に一号のような規定ですと、法務局又は地方法務局の長の認可を受けるということになつておるのでありますが、この認可というのはやはり情実、因縁等に左右されて余り資格のない、余り適当な者でない者を任用したり、多少專断に流れるということは止むを得ないことでないかと思うのでありますが、その点は如何ですか。
これを試験制度にいたしますと、その人員は非常に増加するという結果に相成りまするので、これが認可制度にいたしました大きな理由の一つでございます。
次に第二点でありまするが、「前号に掲げる者と同等以上の教養及び学力を有する者」というような漠然とした規定を設ければ、認可をする人の情実に流れる虞れがあるではないかというお尋ねでございまするが、これは地方によりましては適当な司法書士になれる資格を有する者が少ない場合が非常にあるのであります。
さような場合に余り嚴格な規定を設けておきますると、司法書士を結局認可することができないために、一般の人が非常に迷惑を蒙るという虞れがありましたので、比較的易しい資格にいたしまして、而も認可をする人にお任せするということにしてあります。この認可につきましては、法務府令でいずれ認可に関する事項につきましては詳細な規定とか、或いは場合によつては試験制度を用いるとか、或いは人物考査をするとかいうような具体的な制度が設けられることと存じまして、情実に流れるようなことは比較的少ないのじやないかと考えられる次第でございます。
多過ぎて弊害を生ずる場合は想像されるのですけれどもそれはない。
司法書士というものは何か特殊な者であつて、今の憲法の観点などから言つても差支ないものであると思いますが、その点、更にお尋ねしたいのですが、この罰則を見ますると、八條については規定がないように思うのですが、私の見落しかも知れませんが、折角こういう行為を禁じておりながらそれに罰則がない、外の方にはあるのでありますが、これだけにはない。尤も懲戒という制度があるのですから、それでやればいいという御趣旨とも思われまするが、尚疑問を免れないと思います。
その点をお尋ねします。
それから十六條によりますると、「司法書士会の区域内に事務所を有する司法書士は、その司法書士会の会員となることができる。」ということに相成つておりまするが、働く認可を得たけれども、その後の実績によりますると、余り公正な事務のとり方でない、同僚に対する関係、その他品性も余りよろしくはないというような司法書士でも、司法書士会の方では無條件に入れる義務があるのか、その点お伺いいたします。
第一点のこの司法書士について認可制度をとり、国家試験制度をとらなかつたという点が憲法の職業選択の自由に牴触の虞れなきやという点につきましては、もともとこの司法書士というものは、やはり人権の尊重と申しますか、比較的下層の方々を相手にしてその人達の権利の尊重を図るという点に、司法書士の職務の大半があるように思われるのでありまするが、さような意味合からいたしますると、その業務の適正化を図るということが、非常に必要なことになりまするので、従来からこれは法務総裁の監督に属していたのでおります。併しながら時運の進展と共に、そのような全部的な監督をそのまま続けて行くということが如何かと考えられまして、この度の改正になつたのでございますが、その点から鑑みまして、全面的監督はともかくも、最終的な形では法務総裁或いはこの法務局の長が懲戒権を持つことによつて、その事務の適正を図るという点で、これは公共の福祉の点から、やはりそのような保障が必要だという点から考えられて、かような形をとつたのでありますので、憲法上の問題もないものかとこう考えております。
それから八條の問題はこれは御尤もな御質問なのでございますが、従来もこれはありましたが、これに対しては罰則がなかつたということと、かたがたこの度外の面については罰則をつけたということは、多少開きがあるように見えるのでございますが、御存じのようにこちらの方に大変御迷惑をかけまた弁護士法の規定で、これに該当いたしますもので、双方代理の規定がございますが、その点につきましても、やはり同様に相当きつい、これよりももつと詳しく双方代理を禁ずる規定を置いたのでありますが、それについては罰則をつけてありました。
そのような関係からいわばその前例を踏襲いたしまして、これはやはり懲戒事項ということに止めることがよろしいかと考えて、そのようにいたした次第であります。
第三点の十六條に関しましては、これは実際の運用の面から申しますと、可なり不都合を生ずるということは十分に考えられるのでございますが、もともとこの法律は司法書士の実態が過去三十年間において、相当に充実して参りまして、或る程度の能力があるということを認めた上の立法でございますので、そのような若し不都合な者がありますならば、それはやはり懲戒その他の形で適当に善処ができるのじやないかとこう考えております。
又第十八條で法務府令で多少業務の執行に関しましては、行き過ぎがありますならば、その点についての多少のチエックはできまするし、その命令に違反した場合にはそれが又懲戒事項になるということで、結局はやはりこの司法書士に対する監督も行き届くことができるのではないかと、こう考えております。
要はこの司法書士と申しますのは、裁判などでなかなか得難いような書式、その他をその場で直ちに仕上げて行くというようなところに、仕事の重点がございますので、今の御質問の点は確かにその通りの取計らいができることだと考えております。
そういうことは大きな特権を與えられたがために、自分達の独占的なものだというような観念も相当ある。中にはやつているうちにいろいろな情実がありまして、正当な業務を取扱うということができない。併しそのことは認可という特権があるからという大きなハンデイキャップを持つておるために、平気でそんなことをしておる。
又頼みに行く人も決してそれを不思議と思わない。裏から廻れば何とかなる、こういうようなことになつておつて、先に松井委員から言われたような、試験をしたからと言つて、採用試験じない、資格試験をするのであつて、資格を取つておつたからと言つて、何もそれが開業しようと、すまいと勝手だ、司法書士だつて勝手だ、弁護士も開業しようと、しまいと勝手でありまして、試験制度を採つたからと言つて、敢えてこの趣旨に悖るような精神にはならんと思います。
むしろ開放的に試験をして、やりたければやる、こういうふうにすべきが当然じやないかと思うのでありますが、どうしてこういうふうに特にこういう点についてのみ認可制をとつたか。例えば按摩さんにしても、鍼医さんにしても試験制度になつておる。この司法書士にのみ認可制度を採つたというのはおかしい。これはどういうわけですか。
事柄の性質上、例えば東京或いはその他の繁華な都会地においては或いはそのようなことがあるかと思いますが、一歩非常に辺鄙な土地に参りますると、司法書士というものも必ずしもその人を得ないし、そうして可なりよい人を得ることに苦心しておるというような実情でございます。
さような関係からこれを試験制度など採りますことによつて、一層そういう点の、需要に満たないというようなことになるのではないかというようなことを惧れましたことと、それから現在におきましては、認可制度のそういうような多少の不都合ということが考えられますので、例えば認可を拒絶する、認可を受けた者に対してこれを與えないという点が一番やはり問題が多いのじやないかと思いますので、その点につきましては、これは特に新らしい行き方と思いますが、聴問の制度を置きました。これはやはりお言葉のように多少でもこの制度を民主的にしようという努力の一つの現われでございます。
この程度で一応の段階としては改正をし、更に今後の推移を見るということで御了承願えたら結構かと考えます。